Netflixシリーズ「極悪女王」で再び話題となった”クラッシュギャルズ“長与千種さんとライオネス飛鳥さん。
この記事ではそんな2人の確執や不仲説やクラッシュギャルズの解散についてまとめました。
ぜひ最後までご覧ください!
クラッシュギャルズのプロフィール
まずは簡単に2人のプロフィールについてまとめました。
長与千種のプロフィール
(若い頃はアイドル的な人気もあり、相当モテていたという長与さん。詳しくはこちら)
ライオネス飛鳥のプロフィール
(飛鳥さんの結婚歴などについてはこちら)
(2人の当時の写真が気になる方はこちら)
2度の解散について
かつて大人気だったタッグ「クラッシュギャルズ」ですが、2度の解散を経験しています。
ここからはそんな解散騒動についてまとめていきます。
1度目の解散
クラッシュギャルズの解散は1990年の出来事でした。
当時大人気だったクラッシュギャルズですが、次第に人気の比重が長与さんに偏るようになっていきました。
その結果、飛鳥さんは芸能活動を引退し、1985年にはクラッシュギャルズの活動を一時休止していたことも。
長与と飛鳥の関係にヒビ…クラッシュ分裂、そして電撃引退表明 | 東スポWEB (tokyo-sports.co.jp)
そんな背景もあり、クラッシュギャルズは1990年に解散したのです。
長与さんが1989年に、飛鳥さんが1990年にプロレス界を引退したことで完全に解散となりました。
2度目の解散
1度はプロレス界を引退した2人ですが、その後ともにプロレス界に復帰しています。
長与さんと飛鳥さんのコンビは2000年に「クラッシュ2000」として復活しました。
そんなクラッシュ2000の解散は2005年。
横浜文化体育館にて開催されたクラッシュ2000ファイナルマッチ&ライオネス飛鳥引退試合により、クラッシュ2000は解散したのです。
クラッシュギャルズ不仲説について
2人の間の「嫉妬」や「確執」
2014年のTBS「爆報!THEフライデー」では1990年の解散の真相や、2人の間の25年にわたる確執が語られました。
結論から言うと、確執の原因は長与さんに対する飛鳥さんの嫉妬心でした。
1983年の結成当初はリング外でも仲のよかった2人。
しかし、先述したようにファンからの人気は長与さんに偏っていきました。
プロレスだけでなく、ヒット曲を連発するなどエンターテインメント界でも活躍していた2人。
しかし、そんな芸能活動でも飛鳥さんは劣等感を感じていたといいます。
クラッシュギャルズ25年の確執告白 嫉妬、会社への反旗も…― スポニチ Sponichi Annex 芸能
これが2人の「不仲説」がささやかれる原因でもあるのです。
飛鳥さんがクラッシュギャルズ再結成を拒否!?
これはクラッシュ2000結成直前の話です。
実は飛鳥さんは1度、長与さんから持ち掛けられたクラッシュギャルズ再結成の話を拒否したことがあるのです。
当時2人はそれぞれが違う団体で活動していました。
飛鳥さんが完全にヒール役に転向していたこともあり、1999年に長与VS飛鳥の一騎打ちが実現したのです。
一騎打ちに勝利したのは長与さん。
試合後、長与さんはクラッシュギャルズ再結成を望みましたが、飛鳥さんそれを拒否したのです。
この時はまだ飛鳥さんに嫉妬心や劣等感のようなものが残っていたのかもしれません。
現在の関係
現在は互いに胸のうちを吐き出したことで2人は和解しています。
先述したTBSの番組内では、
「将来、どっちも結婚しなかったらは楽園でも作ろう」
と笑い合っていたとのこと。
2人は様々な抗争を繰り広げつつも、最終的にはバラエティ番組で両者が再会し握手するシーンや、歌を歌うシーンなどもあり、現在は“不仲”ということはなさそうです。
まとめ
クラッシュギャルズの2人の確執についてまとめました。
Netflixシリーズ「極悪女王」でプロレス界に興味を持った方も、ぜひ実際の「クラッシュギャルズ」や「極悪同盟」について調べてみては。
それではまた。